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◆卒塔婆石と康頼灯籠(やすよりとうろう)
厳島神社の境内にあります。

卒塔婆石・・・鬼界島に流された平康頼が流した卒塔婆が流れついた石があります。

卒塔婆石がある鏡ケ池  卒塔婆石がある鏡の池

 潮が干くと丸い池になり、中に卒塔婆石(そとばいし)という石が現われます。この石は、平康頼が鬼界島(きかいがしま)から流した卒塔婆が流れついたものと言われています。

 写真はまだ潮が満ちている状態のもの。
水面下で池の形に石が組んであるのが、おわかりになるかと思います。(東廻廊から撮影)


 写真右側に少し写っている灯籠が「康頼灯籠」です。
卒塔婆石  潮が干いた状態。
(この写真のみ2004年11月撮影)

 卒塔婆石が姿を現しています。


『平家物語』巻第二 卒塔婆流 )

 康頼入道、古郷の恋しきままに、せめてのはかりことに、千本の卒塔婆を作り、阿字の凡字、年号月日、仮名実名、二首の歌をぞ書いたりける。

   さつまがた おきの小島に 我ありと
        おやにはつげよ やへのしほかぜ

   思ひやれ しばしと思ふ 旅だにも
        なほふるさとは こひしきものを



 平康頼は、これらの卒塔婆を現在の鹿児島県の南部にある鬼界ケ島(硫黄島)から流したのでした。

鹿児島県 三島村のホームページ


 よくぞ、この宮島(広島県)まで卒塔婆が流れついたものです!!



康頼灯籠
<看板より>


康頼燈籠(やすよりどうろう)

鬼界島の配流先から許され帰京した平康頼が神思を感謝して奉納した燈籠と伝えられています。
 

 厳島神社最古の石造灯籠だそうです。
(東廻廊から拡大して撮影。)
灯籠の西側には、御本社本殿があります。


平康頼(たいらのやすより)
 生没年未詳。平安末期の北面の武士のひとり。後白川法皇の近臣であった。
 治承元年(1177年)、藤原成親・俊寛らと平家討伐の陰謀と俊寛の鹿ケ谷で企てたとして捕らえられ、鬼界ケ島(硫黄島)に流された。
 翌年許されて帰京。東山双林寺<現在の京都市東山区・円山公園の東にある桓武天皇の勅願寺。雙林寺>に落ち着いて、仏教説話集である『宝物集(ほうぶつしゅう)を編纂した。
 『宝物集』は治承4年(1180年)頃の成立とみられ、インド・中国・日本の説話が数多く収められている。


「天台集 雙林寺(そうりんじ)」のホームページ



御本社本殿の右側面と提灯


【本文引用】
「新編古典文学全集45 平家物語 1」 市古貞次 校注・訳者/小学館 発行
【参考】
「[要点の学習]日本文学史 修訂版」 橋本吉弘・岩倉邦雄 著/中央図書 発行


厳島神社参詣につづく


[厳島神社への旅]

『東へ西へ』

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